将棋嫌いの真相(北アルプス版)

はい。本家「ここ夏の日記」では先んじて報告しましたが。
http://d.hatena.ne.jp/green_summer/20100929/shogi

将棋が嫌いなんです。
読むのがめんどうなんです。頭がパンクしそうになるから。


2年ほど前、私はこのように告白しました。
しかし私自身、どうして「憎む」ほど将棋が嫌いだったのか、
「読むのがめんどう」なんて理由で嫌うほど、私は
頭を使うことが嫌いなのか?
腑に落ちていませんでした。


将棋の何が楽しいのよ?なんて考えているうち、
その瞬間が訪れてしまいました。
開けてはいけない、パンドラの箱のふたが開いたのです。


小学3年生の夏休み。弟Aと将棋を指している最中でした。
ある事故が起こったのです。
いつもとは違う環境で将棋を指していたため、普通ならすぐに
身体的苦痛から解放されたであろうところ、不運にして私は
数時間、強烈な苦しみに襲われました。


その後数日間、将棋を指そうと思っても、その苦しみが
フラッシュバックしました。
手を読もうとすると、目が回り、吐き気がし、立っていられません。
将棋を指したくても指せなくなっていました。


それで「将棋はもう見ない!」と決めてしまいました。


そこで終わっていれば良かったのでしょうが、私はこの苦しみが
よほどイヤだったのか、事故が起きたことを忘れ、思い出さないために
「将棋を見ない」という手段に置き換えてしまっていたのです。


なんと、将棋はトラウマだったんですね。
しかも「負け続けて悔しかった」とか「負けて体罰があった」とか
そういう正当な?w トラウマではなく
むしろ将棋は被害者的な。


しかし思い出してしまった私は、相変わらず事故のフラッシュバックに
襲われ、将棋塾に通うのも辛いほどに苦しんでいました。


克服して将棋を趣味として続けるか。
こんな苦しい思いを繰り返すくらいならまた将棋は止めるか。
まぁ… ぶっちゃけ、それほどにまで悩んだのですがw


将棋に罪はないですし。
飯島天王に女流アマ名人戦に出るように勧められてましたし。
対局することで「楽しさ」を思い出せたらいいな、なんて考えて
将棋塾だけは続けてました。


女流アマ戦は… 残念ながら、その機会にはできなかったです。。
大会関係者、出場者の方、すみませんでした。


現在は、だいぶ事故=将棋の関係が断たれてきて
たぶん、将棋塾のあとに具合が悪くなるのは「知恵熱」という具合に
置き換えられるようになりました。


詰将棋は将棋ではなくパズルとして、今は「将棋日和」でもらった
七手詰の本に夢中です。

脳トレ7手詰

脳トレ7手詰


読み物として手筋の本を読んだり、
角の利きに唯一の攻めの銀をただ捨てする手を推奨するアホな
将棋アプリと対局したりしながら
たぶん、トラウマは克服できるのではないかと思います。


今日は「あから」と清水女流が対局しています。
もし「あから」が勝つのであれば、これから私のような者が
「この将棋アプリ、アホすぎるー!」と涙しなくてすむような
時代が来るのかもしれません。


いろんな楽しみ方が増えるのは良いことですよね。