将棋嫌い宣言。だけど。

最近、自分でも「駒の使い方が分かってないなー」と
うすうす自覚。
分かっていれば二枚落ちであんなに苦労はしないんじゃないかと。


基本、平手を指す気は無い(道場とかネットとか)のだが
百歩譲って将棋アプリと平手で対局をし始めた。
相手の設定を三段にしても12級にしても、だいたい110手くらいで
負ける。傾向として、50手目あたりから疑問手を連発するらしい。


奨励会三段の人にはっきり「駒の使い方が分かってない」と
言われてしまった(汗
「その言葉はきつすぎない?!」と言い返してみたが、
直前に私がやった手を見れば、言いたくなるかもしれない。


5手後に桂馬の利きに馬を作るというミス (−_−l||


「手筋の本を読め」とアドバイスをもらったのだが(汗
手筋の本のみならず、必至問題、詰将棋次の一手、戦法の本に
駒落ちの定跡並べ、棋戦観戦と自分なりに色んな角度から
勉強してみているつもりなのだが(激汗


アプリに平手で負けたあとは(1時間に四局くらい指す)、
一手詰問題集をやって平常心を取り戻す。


しかし、やはり思った。だてに子供の頃に放棄してはいない。
やはり私は将棋はキライなのだ。
続けていられるのは「知らないものを知りたい」という探究心が
子供の頃より強いのだろう。


嫌いはキライ。もうこれはどうしようもない。
好きになろうというのが、無理なのだ。


ただ、ちょっと大人になったと思うのは
「一朝一夕にできるようになるもんじゃないよ」と
思えるようになったことか。
「駒の使い方が分かってない」なら、分かるまで勉強すればいい。
まぁ奥が深そうだから「分かる」なんて簡単にはいかんだろうが。


私の辞書には、というか人生には「努力」という文字が無い。
好きなことを続けるために下積みをするのは、好きだからであって
それは「努力」とは呼ばない、と私ルールがある。
ちなみにこれは他人にまで適用はしない。


今の会社に入社したときも、システムエンジニアの部署に配属になり
即日、「会社辞めていい?」と親に電話したほど、私は工学系が
大嫌いだった。が、それでもデータベースが構築できるように
なったのは、「プロとして自分に必要だから」と割り切ったから。
これは私ルールでは努力ではない。


そんな私が人生初の努力をしようと思う。
大嫌いな将棋でも指せるようになるため。
そこには友達と指したいから、分かると楽しいから、老人ホームで
ボランティアがしたいから、と自分の欲求を満たす目的はあるのだけど
やはり、これは苦痛である。嫌いなんだから苦痛だし、
私ルールの「努力」に適用されてやむ無し。


そう。問題は「一朝一夕にはいかない」というところにある。
奨励会の人たちを見ていると、その意味がよく分かる。
言い方を変えれば「私にできるわけないじゃん」なくらい
奥が深い。


ゆえに、始めて一年半やそこらで平手が指せないからといって
凹む理由はどこにもない。


かと言って平手を指そうという動機にもならないw



今の私のノルマは一手詰問題集を15分で40題解くこと。
ほぼ達成。今度はこれを10分に短縮しなければ。