羽生四冠の仕事の流儀

コンビニに立ち寄ったら「NHKプロフェッショナル仕事の流儀」と
題した3種のマンガが並んでいた。
・「医療」の現場に立つ者たち
・「勝負」に挑む者たち
・「信念」の男たち


迷わず「勝負に挑む者たち」を手に取った。彼の名前が無いはずが
ないと思ったから。
果たして彼の名前は一番最初にあった。
直感は経験で磨く 棋士 羽生善治



その場で立ち読みしてしまったので(をぃ
買う必要はなかったのだが、これは何度読み返してもいい本(まんが)だ
と思ったので購入した。


以前、私はここに棋聖戦梅田望夫氏観戦記】と将棋嫌い少女
http://d.hatena.ne.jp/green_summer/20080614/p1
を書いたことがあるが、

■羽生さん

いつだったか、何気なく点けたテレビで羽生さんのドキュメンタリー
をやっていました。それが「プロフェッショナル 仕事の流儀」
だったのかどうかは分かりません。
羽生さんは歳も近いので(ここでネットの人にもタイトルに嘘が
含まれていることがバレる)、若いうちに大きなタイトルを
獲得したということで印象に強く残っています。


そのテレビで、一局やるのに何時間もかかるのだということを
知りました。駒を打つのに、何十分も考えるのを知りました。
ぅわ!やっぱりプロはあの樹形図を完成させるまで考え抜くんだ?
番組ではその対局が夜まで及び、夕食タイムに入るところも
追っていました。羽生さんには行きつけの店があり、席も決まって
おり、オーダーするメニューも決まっていて、ただ一人で
やってきては一言もしゃべらず食べて戻るのだと。
漠然と見ていただけだけど、こりゃすごいな、と思いました。


のちに、梅田さんのブログで羽生さんの名言がよく引用されるので
羽生さんもやはり現代の人なんだという印象がプラスされました。


とある。
立ち読みしてみて、やはり私が見たのは「仕事の流儀」であったことが
分かった。


しかしこの時は、対局中の夕食はひと言も口をきかないことや
将棋が何時間もかけて指されることに驚いていて、肝心の羽生四冠の
挑戦に関して全然理解していなかった。
マンガではあるが、このタイミングで今一度「仕事の流儀」を読めて
本当に良かったと思う。


現在、私の病気は必ずしも芳しくない。弱音は吐きたくないが
投了してしまいたくなることが何度もある。そのたび
「自分に負けちゃだめだ!」と言い聞かせている。
けもの道に行きたいとか、書きかけの小説を完成させたいとか
やりたいことは沢山あるが、今の私には「病気を治す」が大命題だ。


負けたくはないが、やはり苦しい。
今日もNHK杯 深浦王位 vs 阿久津七段 を観戦していて
阿久津七段が時間切れになったとき「私なら泣いて投了する」と思った。
しかしプロ棋士はそんなところでは絶対に投了しない。
たぶん、本当はものすごく怖いのだろうが、その緊張感に打ち勝って
最善手を懇々とさぐっているのだろう。すごい精神力だと思う。
そういう姿を見ると、やはり「自分に負けてはいけない」。
己を制する者は勝負を制す。*1



奇しくもコンビニに寄る前、カフェで長いこと考え事をしていた。
その中で「羽生四冠は『将棋の神』と呼ばれることを嫌う」ことについても
考えた。


文字通り「神扱いされては困る」ということだと思うのだが
得意の邪推をしてみた。


「羽生」といえば誰もが恐れる将棋界のトップ。とある奨励会員は
羽生四冠が歩いて来ただけで後光が見えたそうだ(笑)。
私の邪推はここから始まる。


「神を前に勝負して勝てると思うか?」


対局者を前にして「神」と思ったら、その時点で「負け」だと思う。
そりゃ確かに、羽生四冠を前に勝つ自信のある棋士はとても少ないと
思うけど。しかし「羽生」という名前を畏れていては、緊張だけで
自分に負ける気がする。「羽生四冠に勝てるわけない」と決めつけて
勝負に臨んでしまう気がする。


羽生四冠はそんなふうに「名前と戦って欲しくない」と思っているのかも?
以上、邪推でした!(笑)


羽生四冠の真意は置いておいて。ここでも同じ、猛者に挑む時、自分の力を
信じて、最後まで諦めずに戦わなければ、勝てる勝負も勝てない。
やはりまず「自分との戦い」があるのだろうとカフェでぼんやり考えた。


私は「勝負」がそのまま生活に直結するような世界には住んでいない。
しかし色々な場面で「自分との戦い」はあると思う。
周囲に勝つことより、まず自分に負けないこと。勝たなくてもいいけど
少なくとも「負けない」こと。まして自分から「負け」に飛び込まないこと。


この一年、将棋を通して学んだことは多い…

*1:正しくは「他を制する者は強し、己を制する者はなお強し」 老子